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去る4月3日「お花見の会」、 4月29日園遊会には、

2010年06月01日

「個室」雑感

 去る4月3日の「お花見の会」、 4月29日の園遊会には、大勢の同窓生たちが春たけなわのキャンパスを訪れ、思い思いに旧交をあたためていた。その時意外だったのは、新渡戸記念室の人気であった。そこには90余年にわたる東京女子大学の歴史が写真や図表をふんだんに用いて、コンパクトに興味深くまとめられていた。そして、この展示室の一角に、かつての寮生の居室が使い込まれた机や整理ダンス、縁台みたいなベッドなどをセットして、再現されていた。寮に4年間お世話になった私は、"我が古巣"に帰ったような幸せな気分で、畳の上にしばらく座り込んでしまった。ーーもっとも私たちの学生時代(昭和30年代前半)は入寮希望者多く、東北出身の私たち4人の新入生は、パーラーでの共同生活から始まった。当時入学式は4月中旬ころであり、窓の外すぐ手の届きそうなところまで房をたれている八重桜や柔らかい色の木々の緑は、東北から出てきた私の目にしみた。そして、そこに入学の喜びがあった。

個室での生活は二学期から始まった。寮生活に慣れてからであったせいか、個室にうつっても、四畳の閉鎖空間に"閉じこめられた"というような圧迫感はついぞ感じないでしまった。思い出すのはその狭い部屋に、5人も10人も(?)集まって、諸国名産のお菓子を食べながら、夜遅くまでおしゃべりしたことなどである。

東・西寮は「女性は一個の人格として、一日一度はひとりになって祈り瞑想する時を持つことが必要である」との新渡戸先生の教育理念を表すものとして、大正末に日本で初めての女性の一人部屋の寮として建てられた由であるが、寮の建物は、キャンパス内の主な建物と同じく、アントニン・レーモンドの設計による。レーモンドは他に、修道院の建築にもたずさわっている。どうやら「個の確立」と「神の前に独り立つ」こととは深い関係にあるようである。(ちなみに新渡戸の学んだ札幌農学校の恵迪寮は共同部屋である)。
 ごく最近、例の再現された個室を共に訪れたHさん曰く「こんな狭くて暗い部屋、私は絶対いや!」。これは私にとっては少々ショックな感想であった。しかし、そういわれて調べてみると寮の大先輩の感想もさまざまである。
◎「隣の話し声も聞こえない三畳(ママ)の個室は親元を初めて離れた人間には氷の部屋のようでした。・・・初めて孤独というものを体験し・・人間が個として生きるとはどういうことかを知って自分が磨かれたと思います。」梶井幸代(33国専)*
◎「生まれて初めて家を離れて寮に入った最初の夜は淋しくて涙が出てしょうがなかった」という瀬戸内寂聴(43国専)*は巣鴨の刑務所の一人部屋が基本的に寮と同じ間取りであることを指摘している。
◎もと心理学科教授の白井常(32英専)*は個室でノイローゼになった学生にふれ、個と集団との関係の難しさを強調している。

 私事になるが、私の母は人生最後の3年ほど、仙台のベネッセクララという老人ホームでお世話になった。ホームを初めて見学に行った私は、入居者の個室の間取りが基本的にあの寮の居室と相似形であることに気づいた。(勿論今のこと故全体にゆったりした明るい雰囲気で、老人が住むにふさわしく過不足なく調度設備が整ってはいるが)
 ホームはもちろんレーモンドと直接関係はないであろうが老人ホームの一人部屋ーー刑務所の個室ーー東京女子大学の個室ーーヨーロッパの修道院、とつなげてみるのは興味深い。大正時代に作られた寮の個室は後の日本家屋の個室の原型かも知れない。
 ホームに入ることを初めは躊躇していた母(31英専)も、彼女の青春時代を過ごした西寮の個室を思い出しながら、納得して入居したのであった。

  参考:『東西寮六十年』 東京女子大学
      『旅人われらII』 同上
      『東京女子大物語』 同上
      『東京女子大学の90年』同上
      ・「アントニン・レーモンド」Wikipedia

一柳やすか

                           写真は2006年、2007年に撮影したものです


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