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イースターを沖縄の同窓生と共に

2013年05月02日

 

3月末、沖縄県中部のうるま市に住む息子家族に会いに行きました。那覇空港から北へ車で50分程の間、いくつもの基地の横を走りました。沖縄を訪れる度に、太平洋戦争最後の悲惨な沖縄戦があったことと、日本の74%の基地が沖縄にあることに不条理を覚えます。

3月31日のイースターにはすてきな、ドラマティックな2人の同窓生にお会いしました。おふたりのご了解を得て、ご紹介いたします。

 

吉川幾子さん(沖縄支部長、67文英)は大学時代の「学生YWCA」と「筑豊の子どもを守る会」の時からの友人です。沖縄生活20年弱になる吉川さんは「いのちの電話」のボランティア、教会を株分けした伝道所を育てること、沖縄から基地をなくすこと等、地域に根ざした活動をしています。

吉川さんと一緒に那覇市の南にある南城市の教会でイースター礼拝を守りました。説教のメッセージは「中央から遠い地である沖縄で、苦しみを共にする者として復活されたイエスがおられる」と、とても力強いものでした。教会の週報には「辺野古の座り込みが3269日目にはいりました。祈りにおいて、行動において参加してください」とありました。沖縄の他の教会の状況は知りませんが、出席した教会が姿勢を明確に示していることに感動しました。

礼拝には近くの児童養護施設で生活する幼児・児童10人位が職員と共に出席していました。礼拝後に皆でカレーライスを食べ、みんなで自己紹介をしました。和気あいあいとした雰囲気の中に沖縄の誰でも包み込む優しさを感じました。

 

午後、吉川さんご家族の案内で飯井和子さん(47専数)を海の見える高台にあるケアホームに訪ねました。いつもは教会に出席されるのに、その朝は猛烈なスコールだったので欠席されたのです。飯井さんは元沖縄支部長でいらっしゃり、私の「沖縄支部は何人位かしら」の問いにさっと名簿を取り出し、「41人です」と答えられました。その素早さ、確かさに圧倒されました。

東京女子大進学は山形県の師範学校の教師であったご両親の勧めによるものでした。入学が決まると、一人っ子の飯井さんのためにご両親は勤務校を辞し、東京に転居されたとのこと。ご両親の教育熱心さに皆で驚きました。戦時中、東京女子大の建物は迷彩色に塗られ、学生は乾電池工場となった体育館で仕事をしたとのことでした。記録では知っていましたが、直接お話を伺うのは初めてで、今の美しく平和なキャンパスとの違いを思いました。卒業後は東京で数学の教師をされました。学生時代には関根正雄氏の無教会の集会に、結婚後は世田谷に住み、しばらくは浅野順一氏の教会に出席していたけれども、ご主人の敏雄さんが休日を一緒に過ごしたいと希望され教会から足が遠のいてしまったそうです。その後もずっと聖書を読み祈る生活をされ、ご自分に合う教会を求めていらして、数年前から吉川さんが所属する教会に出席されているそうです。お部屋には本が多く、その中には何冊もの聖書の注解書がありました。今も学び続けていらっしゃるお姿に、将来のモデルを見ました。

 

吉川さんから、飯井さんご家族に関する新聞記事と、敏雄さんの手記のコピーをいただきました。それによると、1945年5月、敏雄さんは「急降下爆撃機」で奄美から台湾に向かう途中で米軍に撃墜され、伊平屋島沖で同僚2人で漂っているところを島民に助けられました。6月に米軍が島に上陸した時、敏雄さんは軍人として敵を撃ち自決すると主張しましたが、島民の熱心な説得により、軍服とピストルを土に埋め、降伏する検査の時にはボロを着ました。地区の区長が「生まれつきのフラーグワー(バカ者)で兵隊にも採ってもらえない」と言って自分の息子として記帳したのです。敏雄さん達2人の日本兵は、島民として生まれ変わったのでした。命を助けられた敏雄さんはいずれ島に戻ることを心に誓いました。

飯井さんご夫婦は末のお子さんの高校入学を待って、伊平屋島に移住し、30年近く島民と共に生活されました。10年程前に敏雄さんの病気のために、おふたりで沖縄本島の現在の施設に入所。飯井さんはケアホーム、敏雄さんは同じ敷地内の特別老人ホームで生活をされていますが、毎日ご一緒の時間をもっていらっしゃいます。飯井さんの部屋には伊平屋島での写真が沢山飾られてあり、島とご主人を深く思っていらっしゃることが伝わりました。

命を粗末にする戦争と、命を大切にする沖縄の人の優しさを心に刻み、飯井さんの暖かい手と握手を交わして部屋を辞しました。

 

この原稿を書きながら、堀江優子(83文史)編著『戦時下の女子学生達 東京女子大学に学んだ60人の体験』(2012年12月、教文館、900頁)を開きました。戦時下の女子大とそこに学んだ同窓生についての貴重な資料です。改めて東京女子大らしさについて考えました。

 

同窓会会長  山田純子


「迷彩を施された本館」

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