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ひな祭り雑感

2012年02月28日

 

今年も72年館で新渡戸先生のものをはじめ、いろいろな由緒あり気なおひな様にお逢いできるのは嬉しいことである。私も初節句に母の里から贈られたおひな様を飾った。それはひな壇のサイズが(40x40x50)センチほどの「まめびな様」である。真っ赤なひな壇をはじめ上品で物静かなお顔の小さなお人形たちは一人も欠けることなく,今生まれたばかりのように美しい。                                      

このおひな様には、けれども第2次大戦をはさんで、横浜―宮崎―岡山―仙台―東京、と70余年の長旅の歴史が刻まれている。何といっても危機は岡山の大空襲である。1945年初夏、先発隊の家族を追って単身夜の岡山駅に降り立った父はいきなり焼夷弾の雨に襲われた。父はその「雨」の中を、持てるだけの荷物を持って逃げ回ったという。その中におひな様と弟の兜があった。翌日昼頃、父は幽霊のように家族の元にたどり着いた。ちなみに、父三十五歳であった。

昨年、このおひな様に新たな歴史が刻まれた。3月11日、72年館は企画委員会の最中に激しい揺れに襲われた。会館にいた人たちは、大学側の誘導でオープンスペース、さらに23号館に移動して激しい揺れの収まるのを2時間ほど待った。その後、各人はその人らしいやり方で身を処した――、この地震がただ事でないことを予感しながら。72年館には、幸いなことにほとんど被害はなかった。私は、仙台在住の次男とほんの数分互いの安否を確認することができたものの、井の頭の家とは通信不能であった。結局Sさんの車に便乗して,恐る恐る自宅に戻った。意外なことに恐れていたことは何も起こっていなかった。そして、飾り放しになっていたおひな様が、静かにお行儀よく主人を迎えてくれた。                              

その後今日に至るまでの災害の凄まじさについては、ここで何も言うまい。仙台の家の庭は、いまだブルーシートに覆われたままである。あれから今日まで同窓会にもいろいろな影響があった。お花見の会も園遊会も開催できなかった。新しく企画を立てるのはもちろん大変である。けれども1年かけて準備してきたことを一旦やめにすることがいかに大仕事であるか、ということもよくわかった。被災地域、また被災にさまざまなかたちで関わらざるをえない方々はもちろんのこと、日本の国全体が今後長きにわたって災害の傷の深さをいやというほど実感することになるのであろう。                

一人の赤ん坊がいろいろな人々に支えられ、嬉しいことや悲しいことなどを経験し、それらを記憶の引き出にしまいながら大人になり、そして老いてゆく。この豊かで結構長い時間の流れを凝縮して毎年想起させてくれるのが、私にとってのひな祭りである。             

会長 一柳やすか

  


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