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ミッション

2014年11月29日

 
 先日、明石町のあたりを歩きました。明治になって外国人居留地となった場所で、聖路加病院がこの町の代名詞です。その今聖路加病院のある地は、江戸時代は豊前中津藩奥平家の上屋敷でした。ここで『解体新書』の翻訳がなされ(安永三年・1774)、福沢諭吉の慶應義塾の起源も、ここで始まった蘭学塾でした(安政五年・1858)。明治以前から、日本の近代化にとって重要な場所でした。
 また明石町は、日本のミッションスクール発祥の地でもあります。明治になってキリスト教が解禁となり、東京で最初に建てられた教会がカトリック築地教会です(明治七年・1874)。キリスト教の中でもカトリックは、ご存じのようにイエズス会のフランシスコ・ザビエルによって天文十八年(1549)に、日本に伝えられました。日本に初めてプロテスタントが宣教されたのは、安政六年(1859)だそうです。開国後、アメリカプロテスタント諸派の宣教師が来日し、明治六年(1873)に禁教令が廃され、カトリック、プロテスタント共に広まっていきました。
 そして、多くのミッションスクールが明石町にできました。女子学院(明治三年・1870)、立教学院(明治七年・1874)、双葉学園(明治八年・1875)、青山学院(明治十年・1877)、明治学院(明治十年・1877)、暁星学園(明治二十一年・1888)、などです。
 現在私が奉職する普連土学園は、明治二十年(1888)に麻布新町にあった津田仙(津田塾創立者・津田梅子の父)の邸内にて開校しました。当時アメリカに留学中だった内村鑑三、新渡戸稲造の後押しがあって宣教師ジョゼフ・コサンドとその妻セラが来日して、実現したものです。コサンド夫妻が麻布新町の津田邸という外国人居留地以外に住むためには、特別手続きが必要でした。(『普連土学園百年史』1987年発行、より)
 普連土学園は修業年限三年の女学校として始まり、高等科二年が付いた五年制、予科四年・本科三年の七年制、などを経ました。大正七年(1918)にキリスト教新教各派が連合して東京女子大学を設立することとなり、それを受けて五年制の女学校となったそうです。
 『東京女子大学五十年史』(昭和四十三年・1968発行)にも、「青山女学院、東洋英和女学校、女子学院、フェリス女学校は、高等科を廃し、高等科に進学を希望していた生徒を全員、東京女子大学にふりむけた。」とあります。
 ミッション系の学校と人とが、様々のご縁でつながっていることに、感慨をあらたにしています。私もそのご縁の端っこにいるのかもしれません。ミッション=mission の言葉を改めて辞書で調べました。「伝道、使命、任務」等の日本語がありました。私には私のミッションがあって、今この東京女子大学の同窓会にいるのでしょうか。
                         同窓会副会長     高田倫子

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