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忘れられないこと

2015年08月29日

 

 今年も7月に2回に分けての面接を経て、新規の奨学生7名を決めることができた。どの学生も自分の現在を楽しそうに語り、将来の夢をちょっと恥ずかしそうに話してくれた。その輝いている笑顔に接して「がんばってね」と声をかけたくなった。そして思い出した。

 50年程前、私は高校一年で、クラスの同じ列の後ろにN君は居た。何かにつけて後ろを振り向いて話しかける私に、ブカブカの学生服を着た毬栗頭の小柄な彼は吃驚したように長い睫をバタバタさせた。掃除当番で、恰好だけの掃除をしていた私が目を見張ったのは、教室の床を丁寧に拭いているN君の後ろ姿が、我が家に時々手伝いに来る、祖父の鉄工所の工員にそっくりだったからだ。「大人のようにお掃除ができるんだね」と声をかけた私に、彼が苦笑いをしたのを覚えている。私は自分を恥ずかしく思った。

 そのN君が死んだと聞かされたのは、2年の夏休み明けだった。その年6月に私の故郷新潟市は未曽有の大地震に見舞われた。N君は白根町(当時)から新潟市中心部まで走る路面電車で登校していたが、その線路がズタズタになり復旧は困難となった。同じように電車を使っていた生徒たちは新潟市内に下宿したり親類宅に寄留したりしたが、N君にその選択肢は無かった。私には考えの及ばないことだったが、彼は農家である家の重要な働き手で、朝の仕事をしてから登校し、帰宅後も任された仕事があった。家を離れるわけにはいかず、しかし他の交通手段では学校に間に合わない。父親からは近くの農業高校に転校して欲しいと言われたが、彼の学びたいことはそこには無かった。夏休み半ばの登校日、彼は教室に鉢植えを持ってきて飾った。そして帰る前に自分の机を丁寧に何度も何度も拭いていたという。その夜、N君は信濃川に入水した。

 50年前、勉強をしたくてもそれが叶わない生徒がいた。あの時何か援助の制度は無かったのだろうか。どんなにか無念であったろう彼の気持ちを想う時、今勉強したい学生には力の限り勉強してほしいと思う。同窓会の奨学金があれば学業を続けることができるなら、それを大いに役立ててほしいと願う。それがN君の死を無駄にしないことにも繋がると思いたい。

 同窓会で財務委員長というお役を頂き、奨学生に関われる事は望外の喜びである。しかし頭の痛いこともある。貸与する授業料分の額は増加していて、運用益は近年減少が甚だしい。幸い、滞りの無い返還が続いており、それが次の学生たちに使われている。

さらに全ての同窓会活動を支える同窓会費収入も近年減少傾向にある。この場をお借りしてご協力をお願いしたい。

 

9月には第61号会報がお手元に届きますが、その中にある払込用紙をお使いになり同窓会費をお支払頂きたく、お願い致します。

                      財務委員長  島津満里子


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