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日本に留学した日本人

2016年08月31日

 
毎年この時期は、同窓会で貸与した奨学金の返還が順調かどうか気になる日々である。近年は急速に授与型奨学金が増加しているようで、本学にも新渡戸稲造奨学金なる大型の授与奨学金が設けられ、世界100位までの大学へ留学する優秀な学部生に与えられた。
 「留学」という言葉で、私には大切にしている思い出がある。1972年に同窓会サンフランシスコ支部会(当時)に出席させて頂いた時のことだ。前年バークレーに留学中の夫の元に来た24歳の私は右も左も分からず、助けを求めるように先輩に連絡し、この支部会にたどり着いたのだった。 
20人程の先輩方の中でちょっと年配の方々が、「お若いわね」と珍しそうに私に声をかけてくださった。お喋りのなかで、そのお三方が、戦前日系アメリカ人として、東京女子大に留学なさったのだと知った。
 日米開戦前に東京女子大で教育を受けたいと望まれた、アメリカ人として生を受けられた日本人である。ご自分のことを声高にお話しなさる方々ではなく、吃驚して矢継ぎ早に質問する私に、やさしく答えて下さったことを覚えている。卒業後お一人はそのまま終戦まで日本に残り、あとのお二人はアメリカに帰ってお仕事に就かれた。その後のご苦労については実は何もお話しにならなかった。「今は孫たちもいて、ボランティアを兼ねて図書館で働いています」、「まだオフィスで秘書をしていますよ」と明るく現在を語られた。更に大学紛争後の母校をご心配になり、「まだドルのレートが高いうちに同窓会費を送りましょうね」とおっしゃったことが耳に残っている。そのご様子は、企業等の駐在員家族として来られた他の方々とは年代も雰囲気も異なり、自分の出た大学の歴史を垣間見た感じがした。 
 数ヶ月後、バークレーで或る写真展が開かれた。“マンザナール収容所の生活”そんなタイトルだったと思う。それは1942年から46年までアメリカ合衆国の日系人・日本人が財産を没収され、入れられた強制収容所での生活を撮った写真の展示で、日常の様子を住民が撮影したものだった。そのような歴史を何も知らなかった私は驚きながら観て回り、そこにあの先輩方やご家族が入っていたのだということに気づき、愕然としたのだった。
 この写真展はその後各地を廻って話題となり、1988年には当時のアメリカ政府が強制収容所の過ちを認め謝罪し、生存している方一人当り2万ドルの補償金を支払った。因みに、マンザナール(=マンサナ)は地名だが、スペイン語で林檎の意味である。
 たった一度の機会であったが、あのお三方とお目にかかりお話しできたことは、それからの私を変えたような気がする。何より、大学紛争のピークで、感謝の欠片も無く卒業してしまった大学への気持ちが変わった。
経済力も 力もある国から敢えて、両親の母国の東京女子大学へ留学しようとなさった日本人、そして彼女らを受け入れた当時の東京女子大学、私は心からあの先輩たちを誇らしく思う。
 
 
                                 財務委員長  島津滿里子
 
*9月半ばに皆様のお手元に届く同窓会会報に、会費納入用紙が宛名と同じ紙で同封されています。今年からコンビニエンスストアでも納入できるようになりましたので、よろしくお願い致します。

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