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母校

2016年05月31日

 

 同窓会では、4月29日の園遊会を無事に開催でき、皆様に感謝申し上げます。その日は北寮の閉寮式も講堂で行われ、多くの元寮生が参加なさいました。私も元北寮生ですが、閉寮式の直後にはチャペルで園遊会の礼拝が予定されています。その準備のため、式の様子は扉の外から耳をすましてうかがいました。よい式だったと、聞き及んでおります。このために久しぶりに母校を訪れた方も、多数いらしたことでしょう。

 

 先日、『河合栄治郎「学生に与う」現代版 現代の学生に贈る』(西谷英昭・川西重忠編著、河合栄治郎研究会編、2011年桜美林大学北東アジア総合研究所刊)という本を手に入れました。ふとしたことから河合栄治郎に興味を持ち、著書を探しましたが、現在簡単に手にはいるものは、ほとんどありませんでした。

 この『学生に与う』は現代の学生のために平易に書き改めてありますが、多大な示唆を与えられました。

徳があるといわれる人が、必ずしも真実の価値ある人とは限らない。その人は穏やかで謙譲であり、

名声を求めず功を人に譲るかもしれない。しかしその穏やかさは、他人から嫌われることを避けるためかもしれず、謙譲は他人からよく思われるためかもしれない。その特徴は何事もしないで、周囲に波風をたてたくないところにある。その人が大事な場面では、何らかの動きをするのか、依然として何もしないのかで人物がわかる。

 今の私に突き刺さることばでした。さらに河合栄治郎に引かれ、インターネットで検索しましたら、『[湯浅博 全体主義と闘った思想家]独立不羈の男・河合栄治郎』(産経ニュースhttp://sankei.com)に、行き当たりました。

 これは毎週土曜日に掲載されています。バックナンバー「29」に、思いがけない、嬉しい記述がありました。引用します。

 河合栄治郎は大正9(1920)年6月、東京帝大の辞令を受け取る2カ月前から、東京女子大学の講師として教壇に立った。官職を離れていた浪人、栄治郎が、十分とはいえないがこの女子大で糊口(ここう)をしのいだ。

■東京女子大での講義

 東京女子大学は大正7年4月に開学して学長の新渡戸稲造、学監の安井てつの指導のもと、教員12人、学生76人、仮入学生8人という小所帯でスタートした。新宿角筈の粗末な木造の仮校舎で、キリスト教に基づく人格教育が行われた。豊多摩郡井荻村(現在の杉並区善福寺)への移転は、大正13年まで待たなければならない。

 建物は粗末でも、講師陣には片山哲(戦後社会党の首相)、大内兵衛、森戸辰男、鈴木義男という顔ぶれである。これに気鋭の栄治郎が加わった。

 第一高等学校の恩師、新渡戸稲造は東京帝大助教授ポストが宙に浮いたままの栄治郎を見かねて招いたのであろう。若き栄治郎も齢(よわい)30である。いまの社会学科にあたる「実務科二部」で、経済原論と経済学史の講義を担当した。

 彼の教え方は当時の学生、南波シゲ(その後の東京女子大理事)が残したノートからうかがい知れる。(後略)

 

 河合栄治郎(1891から1944)について、ごく簡単に紹介します。戦前の日本における自由主義知識人であり、経済学者・社会思想家です。その思想は理想主義、人格主義、教養主義、自由主義であり、全体主義批判、共産主義批判の立場でした。1938年(昭和13年)の『ファシズム批判』などの著作が当局によって発売禁止となり、東京帝国大学教授の座を追われました。女子学生に対しても「人間」として接したそうです。

 新渡戸先生、河合先生の教えが、今も東京女子大学にあると信じたい、私もその流れを受けているなら誇りに思う、そういう気持ちです。最後に『現代版 学生に与う』から次の言葉を引いて、同窓会役員退任の挨拶といたします。

  母校には故郷や両親と同じように、我々を本然の我に立ち返らせるインスピレーションがある。

 

                                      同窓会副会長 高田 倫子


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