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2月雑感

2012年02月01日

 

 如月の暁の冷え、生まれいづる

吾子(あこ)(はだえ)(きよ)くあらしめ


私事で恐縮だが、これは63年前の2月、私の誕生に際して、亡父の詠んだ歌である。
その日、東京は大雪だったそうだ。当時は病院での出産は珍しく、自宅で所謂お産婆さんに取り上げてもらうのが普通で、私も「自宅でお産婆さん」であったそうな。兄の時は初産のわりには安産だったので、次も大丈夫だろうと父も多少余裕があったらしい。事態が急変したのは私の誕生直後、母は出血多量で意識朦朧となり、今で言う臨死状態でお花畑を見ていたという。「旦那さん、何をぐずぐずしているの、早くお医者を呼んできて!」お産婆さんに急かされ、大雪の中、父は医者を呼びに飛び出したそうだ。さらに発熱した母を冷やすため、降り積もる雪を氷代わりにかき集めたという。母を生還させるため周囲の大人たちは必死で、その間、誕生したばかりの赤子の私は、産着にくるまれてその辺にほって置かれたとのこと。
 以上は、我が出生の顛末として度々父から聞かされた内容である。戦後まだ日が浅く、東京でも物資が不足していたらしく、手元に残っている当時の母子手帳を見ると、“配給物資記事欄”なるものがあり、「妊産婦、乳幼児に対して特別の配給をしたときは、配給責任者は必ず月、日、品目等を記入して押印して下さい。」と記載されている。さらには“木炭特別配給申請書”という項目もある。因みに母が配給を受けた物資は、産前産後の15箇月間でネル晒2・牛乳12・バター1・粉乳64・石けん1・砂糖7・手編糸1の記録がある。
母の命を危険にさらして誕生した私を、乏しい物資の中、懸命に守り育ててくれた若き両親を思い、今改めて感謝の念を覚える。
昨年3月の非常事態の最中にも、厳冬の被災地ではいくつかの新しい命が誕生したことを報道で知ったが、どんなにか心細く、恐ろしく、不安な中での出産だったろう。平常時なら、設備の整った産院で充分な看護を受けられたはずなのに、大丈夫だったろうかと心配した。しかし、戦時下にも等しいさなかでの出産という大事業を成し遂げた若い母親たちの、なんと健気でたくましいことか。従容として理不尽な現実を受け入れ、前を向いて生きようとする姿に神々しさを感じたのは私のみではなかろう。これらの母子に幸多かれと祈らずにはいられない。
一年の内で最も寒さの厳しい2月は多くの若者にとって試練の時季だが、自身の進路を選択するには、むしろ清清しい緊張感を伴った寒さであろう。45年前の2月、憧れの東京女子大学を受験し幸いにも合格でき、今日まで連綿と続いている同窓生の輪に加わっていられることに感謝したい。

 副会長 重政明美 


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