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<報告>第44回長野県浅間会総会

 

2017年7月16日(日)、長野市のホテル信濃路で総会を開催しました。信濃毎日新聞社論説主幹、丸山貢一氏をお迎えし「戦争と新聞、そして憲法」との演題でご講演いただきました。会員26名に一般11名を加えた37名が参加しました。以下は講演の概略です。

1945年(昭和20年)を基準にその前後70年を振り返ると、前半は1874年(明治7年)の台湾出兵から日清、日露、第一次世界大戦、1931年(昭和6年)の満州事変、日中戦争、第二次世界大戦の敗戦まで、戦争をしながらの70年でした。1945年以降は、平和が維持され今日に至ります。

1932年(昭和7年)「満州国」建国を機に始まった移民政策、満蒙開拓に村をあげて参加する国策が進められると、長野県の参加者は全国一の規模で3万人を超えました。そのなか、全く反対の決断をした村長がいました。時代の空気を感じながらも決断を意図的に遅らせるなど抵抗を続け、開拓団を組織して送ることなく一人の犠牲者も出しませんでした。

一方、生還者は一人という結果を招いた村長もいて、戦後まもなく自殺しました。

なぜ長野県は、全国一の移民送出県となったのでしょうか。その背景として「信州郷軍同志会」という陸軍中央から軍資金も得て移民送出の圧力をかけた団体が存在したこと、国の分村移民政策に則った県の国策推進の圧力、そして村が補助金に頼り、競って名乗りを挙げた事情がありました。

国策の歯車になるということでは信濃毎日新聞にも同じようなことがいえました。戦前の主筆、桐生悠々が1933年8月11日の社説「関東防空大演習を嗤ふ」を載せ、首都圏で行われた防空演習が無意味であるとして批判すると、軍部を後ろ盾にする在郷軍人組織の「信州郷軍同志会」がこれに強く反発し、不買運動が起きました。それを受けた形で桐生は「自ら退職」せざるを得ませんでした。その後、信濃毎日新聞は、国の「言論報国」の旗のもと、国策の推進に協力していくことになりました。

 新聞は戦争に協力した歴史に立ち戻らなければいけません。日本がこれからどこへ向かうのかは、憲法9条の果してきた役割を含め、これまでどう生きたかをしっかり考えると見えてくるのではないか、と思います。

 講演はそのような言葉で終わり、その後の茶話会では会員の率直なご意見に丸山氏も誠実に答えて下さいました。

ご支援いただいた同窓会本部の皆様に深く感謝申し上げます。

 

長野県浅間会会長 本吉谷恵子



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